マリオパーティーと3Dスティックと母
今週のお題「ゲームの思い出」
今でもゲームをしているとふと思い出す時がある。
十数年前、私はNINTENDOU64のマリオパーティーをひたすらプレイしていた。
親は共働きで家を空けることが多く、「ゲームは1日1時間」ならぬ「ゲームは1日飽きるまで」が我が家のハウスルールであった。
誰にも咎められずゲームをすることができる環境。そこで悲劇は起こった。
それは3Dスティックをただひたすらグリグリするというミニゲームをした時のことである。夢中でグリグリしていた時に、激痛が走ったのである。(今思い返すと手の皮が少しむけていた。インドア野球少年である)
当時幼稚園児だった私は、訳もわからず襲ってくるその痛みに耐えられずスネ夫よろしく「ママー!ママー!」と叫びつづけた。
20分くらい叫んだ後だったか、母親が帰ってきて息子になにが起こっているか瞬時に判断して応急処置をしてくれた。
私が母に、「ずっと呼んでいたよ」と言うと、母は「うん、シャトレーゼくらいから聞こえていたから、ダッシュで帰ってきたよ」と返された。
シャトレーゼは我が家から2キロほど離れているので、そんなはずはないのだが、純朴で素直な少年はその言葉を真に受けて妙に嬉しかったそうな。